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年末調整

また3ヶ月も放置してしまいました。FC2も進化し続け、機能が増えすぎてついていけません。携帯と同じで、基本機能だけで十分なのですが…。

今は平穏な日々を過ごしています。もちろん生活は楽ではありません。月末に生活費が足りるか考えてしまうような時もあります。仕事の辛さや、子供を一人で家においておく不安はあります。それでも確かに私は「幸せ」だと感じています。何をしても不平不満しか言われなかったあの頃の生活には二度と戻れない。

ただ、子供が何を考えているのかは怖くて今まで一度も聞いていません。これからどうなるのか考えなければいけないのに、逃げている部分はあります。

こんなに二人で楽しく暮らしているのに、年末調整の書類は私を現実に直面させました。配偶者の有無を記入する欄には「有」に○をする矛盾。私と暮らしている子供は私の扶養ではなく夫の扶養であるという現実。

そろそろ本気で戸籍という制度に向き合わなければいけないのかも。
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テーマ : 別居・離婚 - ジャンル : 結婚・家庭生活

別居まで つづき

2ヶ月経ってしまいましたが、つづき

--3月--

アパートの鍵を受け取って入居前の準備を始めた。家から自転車で15分ほどの距離。出社前いつもより早く家を出て、部屋のサイズを測り、家具の配置を考え、あの家から持ってくる物・捨てる物を考えた。すぐに生活できるように生活用品も揃えた。

水道・電気・ガスの手配、など転居の手続き、部屋の掃除を済ませ、普段使わない身の回りの物をダンボールに詰めては納戸に片付けていった。

最大の難関は引越業者が荷物を見積るために家に入らなければならないことだった。家には舅姑がいる。無用心だから、と年寄は決して家を留守にしない。常にどちらかが留守番をしている。

誰にも知られずに業者を家に上げるのはどう考えても不可能だった。何度かあきらめようかと弱気になった。


--春休み--

どうすればいいのか考えてあぐねているうちに春休みに入ってしまった。春休みに入ってすぐ、子供は所属している団体のキャンプに参加した。

子供のいない時がチャンスだ、と思った。業者に連絡をいれ見積の予約を取り、思い切って舅姑夫の三人を前に家を出る事を切り出した。夫は「落ち着け」とただ繰り返していたような気がする。私はただ「離婚したい」と繰り返していただけのような気もする。

正直、あの時のことはあまり思い出せない。思い出したくないほどの罵詈雑言の嵐に、心を閉ざし耳を塞いでいたのかもしれない。ドラマをみているようなぼんやりとした記憶しかない。

我に返ったのは舅に湯呑のお茶をかけられた時。その瞬間を待っていたのかもしれない。一気に「家を出たい」「ここから立ち去りたい」という気持ちが湧き上がってきて、ただひたすら荷物をまとめる事に専念した。夫が横から何か言っていたけれど覚えていない。

1時間後、業者が見積りに来て、運び出す荷物を目分量で計算し、てきぱきと見積を出し、ダンボールの束を置いていった。その間中、夫は後ろからついてきていた。他人の目の前ではさすがに何も言えなかったようで終始無言だった。舅姑は部屋から出てこなかった。

業者が帰ってから再び荷造りを始めると、夫が横から色々となだめるような話をしてきた。ずっと無視し作業していると、逆ギレしたのかダンボールや荷物を投げ散らかしたり蹴り飛ばしたりし始めた。
それでも黙々と荷物を詰め次々にガムテープで封をしていった。気が済んだのか、あきらめたのか、私の意志が固いのを悟ったのか、夫は寝室にこもってしまった。

もう後戻りは出来ないと思うとほっとした。徹夜で荷造りをし、リビングで仮眠をとって誰も起きてこないうちに出社した。


夫から携帯にメールが届いた。会社を休んでいたらしい。どこにいるのかと問いただすメールに始まり、読みたくもない言い訳だらけの長文メールが次々と届いた。無視していると謝罪の言葉も入り始めた。午前中はことごとく無視していたが、着信まで入ってきたのでとりあえずメールに返事はすることにした。

帰宅すると夫がリビングで待っていた。姑が血圧が上がって寝込んでいるらしかったが見舞うつもりは無かった。

二人で向かい合って話をした。夫がしてきたこと。姑との関係。私が今まで考えていたこと。誰も心から信用できないこと。子供は渡さないこと…今まで見ないようにしてきた私達の問題が次々に表面化してきた。

夫は全て反省するから考え直して欲しいと言った。何一つ信じられないと答えた。接点の無い平行線を辿る話し合いが続いて荷造りはできなかった。

夜が明ける頃、夫が折れた。とりあえず別居はしてもいいが離婚は絶対にしない。夫がアパートの保証人になり家賃も出す。子供の学費も今のまま夫が払う。その代わりに週末は必ず子供と三人で過ごす。

夫と週末を過ごすなどまっぴらだとは思ったが、あの家を出られるならどんな条件でも良かった。とにかく荷造りに没頭できることが嬉しかった。


子供がキャンプから帰ってくる日、早朝から業者がきて次々に荷物を積んでいった。姑はじっと腕を組んで怖い顔で睨んでいた。最後の荷物をトラックに運び入れて舅姑に挨拶をしに行った。「短い間ですがお世話になりました」と頭を下げたが、無視されたのでそれ以上は何も言わず家を出た。

アパートには夫もついてきた。狭くて汚いと文句ばかり言っていた。セキュリティもないし子供が可哀想だからもっと小奇麗なマンションにしろ、と相変わらずわけのわからないことを言っていたが無視した。

夕方、夫と二人で子供を迎えに行きアパートに連れてきた。今日からここでお母さんと二人で暮らすのだと告げると、意外にも平気な顔をしていてこちらが拍子抜けするほどだった。


荷解きが一段落してから夫と子供と三人で近所のお蕎麦屋さんで引越蕎麦を食べた。夫が帰る後姿を見て子供が泣いていた。その時だけは私も一緒に泣いてしまった。後悔の涙だったのか、うれし涙だったのか、安堵の涙だったのか、不安の涙だったのか、今でもよく分からない。


あの日から舅姑とは二度と会っていない。

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別居まで

早いもので半年近い日々が過ぎた。怒涛のように日々が過ぎて何から書けばいいのか思い出すのも難しい。とりあえず箇条書きに。思い出したらまた追加。

--前回の日記の後--

職場の上司から正社員としての雇用の打診があった。
厚生年金にも入れるし、子供を扶養にすることも可能。離婚を視野に入れている私にとっては願っても無いことだった。その代わり、仕事への責任も増えて勤務時間も長くなり、パートのように子供の学校行事があるからといって簡単には休めない。

一番の不安はパートから正社員になった女性が今まで一人もいなかったことだった。非常勤で3年も働いている20代の子や派遣社員を差し置いて、勤務一年未満で四十路のおばちゃんが正社員登用を打診されたことに職場では少なからず反感もあった。

しばらく悩んだ結果、自分の生活を第一に考えて正社員雇用をお願いすることにした。1月末のこと。

--2月--

正社員雇用は4月から。それまでは試用期間&私の気持ちの準備期間ということで様々な業務のレクチャーを受ける。半年前までパワーポイントもアクセスも使えなかった私にとって、全てがメモを必要とするような日々。

久々にTOEICを受験し、その点数のあまりの低さに愕然とする。業務の一つ一つに瞬時に対応できない自分にいらだつ。歳をとるということはこういうことだったのだと実感する。残業も増え、帰宅するなり姑から罵声を浴びせられることもしばしばだった。

しかし、その辛い毎日が私の背中を押したのかもしれない。「今の生活から逃げ出したい」気持ちがどんどん募っていった。仕事の合間を縫って不動産物件を探し、別居するための部屋探しを始めた。

--3月--

2Kと狭いが、職場に近く、子供の通学にも問題ない部屋が見つかった。が、一番の問題は保証人だった。夫にも、もちろん実の親にも頼めない。誰かに別居の話をすることもためらわれた。

意を決して不動産屋さんに頼み込んでみた。別居したいこと、誰にも知られたくないこと、保証人は落ち着いたら必ず見つけること、など正直に話した。

そこの女性社長がその物件の大家だったのだが、驚いたことに、彼女もバツイチで今の私の立場を理解してくれた。大いに励まされた上、落ち着くまで保証人なしで貸してくださることになり、秘密厳守で動いてくれる引越業者も紹介してもらった。

本当にラッキーだった。その巡り合わせに一筋の光が見えた。即金で敷金・礼金を払い、引越業者の担当者と連絡をとった。

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